通信制で社会復帰するきっかけになりました

通信制高校・大学に通って社会復帰までの道のり 

部活設立編2

 高校3年の入学式に部員募集を練習着(ユニフォーム)を着て呼びかけました。すると、これが、好評だったのか知らないけども部員は、どんどんと集まり10人へとなりました。

 

 これも顧問の先生のおかげですけどもね。野球の道具関係やユニフォームの準備も顧問の先生が、やってくれました。その年に入ってから、来た新任先生の力です。

 

 グラウンドは、確保出来ているので週に2回練習することが出来ました。最初は、2人でやっていたグラウンドには、10人揃って練習という新しい風景。普通なら、当たり前ですけども通信制高校で部員10人集めるのは、並大抵のことでありません。定通制の大会では、女子も出場出来るので女子は、3人いました。勿論選手としてです。

 

 そしてここで説明をしておきます。全国高校定通制高校軟式野球大会は、神宮球場が、僕らからみた甲子園みたいなものですね。僕らのチームは、新設チームなのでまだまだ厳しい面もありましたが、練習は、きっちりとこなしてわりと試合が、出来るくらいになりました。

 

 この時のスケジュールとすると、午前中に授業いって、午後1時から午後4時半くらいまで練習って感じでしたね。日焼けも中々凄かったです。雨の日でも日焼けするというのは、この時知りました。

 

 設立してから、1ヶ月後(5月)に大会も参加しました。勿論結果は、コールド負けでした。それでも僕の中では、コールド負け以上にいい経験となりました。野球部のみんなで野球が出来たこと。それだけで僕にとっては、十分価値のあるものになったと思います。まあ、僕が打てれば勝てたかもしれない。ずっと心残りですね。悔しい気持ちは、大切だ。これからの人生の糧になると信じてコツコツと頑張っていくことを学びました。

 

 前の高校で叶えられなかった公式戦出場の夢を叶えることが、出来て僕自身は、とっても満足しました。結果云々じゃなくて過程にね。プロセスを大切にしていこうと思えたのは、この瞬間があったからだと思います。

部活動 設立編 

 通信制高校と言うと、学校に通わないので部活なんてないでしょ? って思われる方が、多いと思いますが、部活あります。そして僕は、部活を作りました。

 前に通っていた高校では、野球部に入っていました。部活の人間関係が、原因で体調を崩してしまい、高校へと通えなくなりました。それでも、僕は、野球が、好きでした。なので野球部を設立を1人で考えました。ホントは、言うと1年浪人して全日制高校へと受験しようかなっとも思った時期もありました。しかし、整っていない環境の方が、僕は、燃えるだろうという安易な考えもあり、通信制で頑張ろうという決意をしました。

 

 この決意の裏である方のメールのやり取りがありました。それは、ここの通信制高校ではないのですが、もう1個検討していた通信制高校の先生とのメールです。高校を転校したいけど、野球をやりたいということをその人に伝えました。しかしながら、距離的にキツイものがありました。金銭的にね。大学なら、まだしも高校でその距離は、キツイなーって。しかし、その先生から、ある提案をしてくれた「野球部を作ればいいんじゃない?」っとこの言葉が、僕を後押ししてくれました。

 

 最初の部員は、半年学年上の先輩2人でした。グラウンドは、学校の好意もあってか、貸してもらえることになりました。学校から、車で10分くらいで着くところにあります。

 

 まあ、2人だから、グラウンドは、持て余すほどに広い、もう1人は、見てくれる事務の先生がいた。正式には、先生であったかは、不明なのですが。野球を僕が、辞めなかったきっかけにはなった先生であると思います。

 

 基本は、2人か多くて3人だったのでキャッチボールやフリーバッティングくらいしか出来ない。それでも野球が出来て凄く楽しかったのを覚えています。広いグラウンドでのびのびと出来るこれこそが、野球の醍醐味かなーって思ったような気がします。

 

 学校の先生方が、試合形式で練習させてくれることもありました。塾が運営している学校であった為にその先生達の協力もあり、試合をさせてもらいました。マウンドから、投げるのは、凄く楽しかったし、嬉しかったです。正式な試合にこの時は、出れると思いませんでしたが、3年になる前に高体連へと加盟してくれ、公式戦への出る準備が、整いました。

 

 しかし、部員不足は、否めない。4,5人くらいには、なっていたのですが、後の部員が、4月に入るか分からないという状況になっていました。それでも僕は、信じて練習を頑張りました。

 

生徒の様子

 授業のことばかりなので生徒についても見ていこうかと思います。生徒は、おおまかに分けて3種類くらいになりますね。1におとなしい子。2にヤンキーと言われるやんちゃな子。3に普通といったら、おかしいかもしれないけど、どちらにも当てはまらない子。このような感じでしたね。

 

 ただ、通信制高校で面白いことは、おとなしい子とヤンキーの子で結構仲良くなったりすることがあるんですよ。体育の時間を通して仲良くなったりするのを結構見れますよ。バスケとか、バトミントンを協力してやっている姿を見ると、やっぱりスポーツは、コミュニケーションの一環として大切なんだなって思います。

 

 通信制に来る子ってみんな純粋、ピュアな子が多いです。これは、男女共にそう思います。心が、綺麗なんですよ。見た目と違ってね。怖そうな子が、案外優しかったりするのを見るとほっこりします。

 

 まあ、彼ら、彼女らは、純粋さゆえに良からぬ行為もしてきたかもしれないですけど、それを全て受け止めてくれる場所でもあるような気がします。

 

 僕は、どちらかというとどちらにも当てはまらない生徒でした。まあ、どっちかと言えば、明るい方気味かな。前の高校では、良いことありませんでしたが、ここに入ってからは、少しだけ生きてて良かったと思えるようになれたから良かったと思います。

 

 僕も徐々に友達と呼べるくらいに仲良くなれて一緒にコンビニに行ったりするくらいの当たり前のようなことでも楽しかったです。

集中スクーリング

集中スクーリングとは、冬(2月)と夏(8月)に行われるいわゆる短期集中授業です。自動車学校の合宿免許に似たような感じですね。

 

 遠方の地域で学校へと中々来れない生徒を対象にした授業となっています。僕がいた当時は、10時くらいに始まり、19時くらいまで授業が行われていました。

 

 その時だけ行われる授業もありました。家庭総合や書道といった授業は、集中スクーリングだけ行われるという形でした。書道では、好きな言葉を書くという緩い授業でしたが。

 

 集中スクーリングが、終わると、科目終了試験となります。科目別のテストを1日でやるということになるので一気に8科目やるということもあります。

 

 30点以上が、合格ラインになるので基本的に勉強をしておけば、楽々と単位を取ることが、出来ますね。また、取れなかった場合は、追試が後日あるのでそれで30点以上取れれば単位修得できます。僕の知り合いでは、取れなかったっという生徒は、聞いたことありませんでした。内容も基本的なことばかりなので難易度は、結構低めだと思います。進学校から、転入してくる生徒には、物足りないような試験かもしれないですね。

通信制高校入学

 僕の入った通信制高校は、春と秋に入学式、卒業式があった。僕は、秋からのスタート、なんとか転入前にいた高校の単位を引き継いで入学出来た。まあ、ソシャゲとかのデータ引継ぎだと思ってくれれば、分かりやすい。機種変更時のデータ移行みたいな。

 

 僕は、入学式までに手続きが間に合わなかった為に参加することが、出来なかったのです。しかし、ライブ配信を通して入学式を見ることが、可能でしたのでそれを見て学校の雰囲気を知ることが、出来ました。先生方が、『栄光の架け橋』を歌ってくれたことが、印象的でした。

 

 入学してから、授業は、スクリーングと言って週に3回くらい僕の場合ありました。45分で1時間という時間割です。授業では、課題となるレポート作成の内容に沿って行われる為に授業を聞いていれば、容易にレポートをこなすことが出来た。基礎的な内容が多いので中学校で学習に躓いてしまった子でもやり直せますよ。

 しかし、授業に出ていないとレポートの内容は、ちんぷんかんぷんになってしまいます。実際に同級生にそういう人が、いました。それでも先生方の熱心な指導のおかげで大体の人が、レポートを期限までに提出出来ていました。最悪期限までに出さなくても最終締め切り的に間に合えばOKとなります。しかし、成績は、低くついてしまうのです。

 

 これが、基本的な通信制高校の流れです。スクーリングに参加、レポートを提出ということと科目終了試験という、いわゆる期末テストみたいなものがあります。

 

 これは、次の集中スクーリングとあわせてみていきたいと思います。

 

通信制との運命的出会い

「学校に行きたくない」

 

 僕は、親にそう言って学校を休もうとした。しかし、親は、強制的に車へと連れ込み、登校させられた。まあ、流れから分かるだろう。僕は、校門に入らず、近くの神社で時間を潰してから、家に帰った。こんなことをしていると、すぐに高校側から、「欠席でしたよ」っと電話が入っていたらしく激しく怒鳴られました。行きたくない場所に無理に行って身体壊しても誰も助けてくれないだろ? だったら、僕は、行かないことを選択するよっと固く意志を決めた。あのままあの高校へと通っていたら、多分、色々やらかしてしまっていたと思います。



僕は、中学校まで普通に学校へと通い、それなりに楽しい学校生活を送れていました。

 しかし、公立高校へと入学すると、中学とのギャップを感じ、また、人間関係で苦しみ入学して早々不登校へとなってしまいました。ちなみに中学校の時は、ほとんど休んだことのない生徒でした。

 

 不登校中の日々は、辛かったです。先が、見えない毎日。これから、どうなるのだろうかという不安。それでも前にいかないといけないという思いから、次の転校先を考えるようになりました。

 

 最初に担任だった先生が、提案したのは、定時制高校であった。定時制高校とは、基本的に4年生となっているところが多い。科目履修として通信制で併用すれば、3年で終わるという形式もあるようだ。科目履修とは、学校に在籍しないが、単位を取ることを目的とする制度である。

 

 だが、僕は、自分で探してきた通信制高校へアポを取り、母親を混じえて学校説明へ赴いた。通信制高校という言葉を聞いたのは、その時が、初めてであった。通信制と聞かれると、学校に通わないで自宅学習というイメージを持たれるだろう。僕もそう思っていた。しかし、通信制高校には、スクーリングと言って、いわゆる授業が平日に行われている。僕の行こうとした学校は、10時から16時くらいまで授業が、行われていた。これを聞いた僕は、すぐに転校を決めた。



 そして、無事に高校1年生の9月末に転入することが出来た。僕の高校生活は、ここからスタートしたのだ。